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2011.9.29
2011.9.01
2011.7.22
・・・・(株)青南商事
被災地がれき処理の最前線で活動を展開するリサイクル企業(株)青南商事
からの現状報告
東日本大震災による岩手・宮城・福島の三県で生じた推定最大約2,490万トンもの「がれき」を被災地の最前線で処理し続ける㈱青南商事の現場から着実に復興に向かう東北の姿をお伝えします。
003
仙台空港

海岸から約1kmほどのところに位置する仙台空港では、敷地内に駐車してあった多くの車が津波の被害を受けました。空港周辺には一時的に保管しておくための集積所が3ヶ所に分けて設けられており、約2300台におよぶ車が処理される日を静かに待っています。
この日、私は集積所に向かい、最後のリストアップ作業を行ないました。リストアップとは、被災した車のナンバーや車体番号を調べ、所有者の特定につながる情報を整理する作業のことです。この情報をもとに持ち主を特定し、引き取るか、それともそのまま処分するか、どちらかの判断を持ち主に委ねます。
残念ながら、引き取られて持ち主の元へ戻っていく車はごく僅か。ほとんどが処分という判断がなされ、当社のような解体業者へ搬送されていきます。なかには実際に車を見に来たものの、その状態の酷さに引き取るのを諦めて帰っていく持ち主の姿も。私も車が好きですので愛車とこのような別れ方をすることになった持ち主の気持ちは痛いくらいわかります。そんな辛い思いを押し殺しながらこの日まで一台一台確認してきました。
この日、私は集積所に向かい、最後のリストアップ作業を行ないました。リストアップとは、被災した車のナンバーや車体番号を調べ、所有者の特定につながる情報を整理する作業のことです。この情報をもとに持ち主を特定し、引き取るか、それともそのまま処分するか、どちらかの判断を持ち主に委ねます。
残念ながら、引き取られて持ち主の元へ戻っていく車はごく僅か。ほとんどが処分という判断がなされ、当社のような解体業者へ搬送されていきます。なかには実際に車を見に来たものの、その状態の酷さに引き取るのを諦めて帰っていく持ち主の姿も。私も車が好きですので愛車とこのような別れ方をすることになった持ち主の気持ちは痛いくらいわかります。そんな辛い思いを押し殺しながらこの日まで一台一台確認してきました。

確認作業というと簡単に見えるかも知れません。大抵の車はボンネット(エンジンルーム)を開けることができれば車体番号を見つけ出すことができますので、私も当初はスムーズに終わるものと考えていました。しかし、実際は、メーカーや車種によって車体番号が記されている場所が異なるため、探し出すのに時間がかかったり、ボンネットを開いても見つからず、つぶれて開かないドアをバールで強引にこじ開けたり窓ガラスを割ったりして車内に潜り込み、土砂をかき分け、やっとのことで見つけ出すことも多くありました。想像していた以上に危険で時間のかかる作業です。
その他にも、津波の力でバンパーもろともナンバーが外れてなくなっていたり、燃えて車体がフレームだけになっていて確認が難しい車もありましたし、最近では、ジョロウグモと思われる大きなクモが大量に発生しており、噛まれないよう注意しながらの作業でした。
その他にも、津波の力でバンパーもろともナンバーが外れてなくなっていたり、燃えて車体がフレームだけになっていて確認が難しい車もありましたし、最近では、ジョロウグモと思われる大きなクモが大量に発生しており、噛まれないよう注意しながらの作業でした。

私の仕事はこれまで事務的なものが中心でしたので、泥まみれの格好で家に帰ると子どもが心配そうな顔をして理由を聞いてきます。子どもながらに地震が起きて大変なことになっているというのは感じているのでしょう。
震災復興に貢献する仕事をしていてどんな気持ちか尋ねられたりもしますが、ここ被災地で暮らす私は、ニュースで取り上げられるようなカッコいい使命感や復興にかける熱い思いなどを感じたことはありません。震災ガレキの処理を進めることに対し、自然に体が動いているというのが正直なところです。リサイクル事業を営む会社に勤めているのだから当然と言われれば当然ですが、それ以上に体が自然に動くのは、やはり子どもや孫の将来のために何かしなければいけないという気持ちが根底にあるからなのだと思います。
震災復興に貢献する仕事をしていてどんな気持ちか尋ねられたりもしますが、ここ被災地で暮らす私は、ニュースで取り上げられるようなカッコいい使命感や復興にかける熱い思いなどを感じたことはありません。震災ガレキの処理を進めることに対し、自然に体が動いているというのが正直なところです。リサイクル事業を営む会社に勤めているのだから当然と言われれば当然ですが、それ以上に体が自然に動くのは、やはり子どもや孫の将来のために何かしなければいけないという気持ちが根底にあるからなのだと思います。
